企画開発・製造・営業―アダルに入社後、長年にわたって様々な家具と向き合い続けてきた社員3名が、企画するヒト、作るヒト、売るヒトそれぞれの観点から思い出の家具とストーリーを語ります。
チームプレーの歯車が噛み合い転機をもたらしたロングセラー
経営企画室 室長(元企画開発室 室長)
葉玉 研治
【思い出の家具に至るまで】
入社当時は、ちょうどISO9001(品質マネジメントシステム)認証取得に向けて工場のメンバーを中心に取り組んでいたところで、私もそのプロジェクトメンバーに選ばれ、マニュアル作成などに試行錯誤しながらなんとか取得できました。
そして、取得したからには運営していく必要があるということで運営責任者に抜擢され、品質管理室長という身に余るような役職に任命していただき、そのまま総務部に配属、さらに海外調達(バイヤー)の仕事にも携わらせていただきながら、5年ほど経った2010年に企画開発室へ異動となり、念願の商品デザイン・開発、そしてカタログ制作に無我夢中で明け暮れる日々を過ごしました。
2010年から8年間でカタログ5冊、新商品の開発数においては数百を超え、『はたらく家具』の裏表紙「家具に、親心を。」を引用させてもらうと、私ほどアダル商品に親心を持って接している社員はいないと自負しています。
【思い出の家具エピソード】
思い出の家具を一つ選ぶというのは非常に難しいことですが、愛おしい子たちの中でも、「レイ」は特に転機となった商品です。「レイ」を企画した当時は、まだプロダクトアウト的な発想が強かった中で、初めてSWOT分析といったマーケティング手法を導入し、競合に対する優位性をどこに見出すかなどの議論をチームで重ねました。
また、当時の上海松江工場で現地の職人の方々に様々な手ほどきを受けながら型紙づくりをサポートしていただいたり、国内の工場では張り方のアイデアを何パターンも考えてもらったり、営業視点から細やかなアドバイスをもらったりなど、アダルの各セクションの歯車が上手く噛み合う手応えを感じました。
【思い出の家具への想い】
売れ行きも最初から好調で、現在では安定したロングセラーとしてたくさんのお客様に選んでいただいています。やはりその点から考えると、これまであまり売れ行きが芳しくなく廃盤になってしまったモデルは、どちらかというと自分の独りよがりで開発を進めた傾向があったように感じますね。だから「レイ」は、チームプレーの重要性を体感できたことが非常に思い出深いです。
商品開発において、顧客やインテリア空間のことを重要視するのはもちろんですが、その先にある社会・政治・技術革新など世の中の大きな流れを意識することで、ニーズを超える存在、つまり本当の意味でADALという社名に込められたAdviser for Amenity Life(快適な生活空間のアドバイザー)になれると思います。商品は会社の顔であり、最も重要なプレゼンテーションをする存在なので、そのような意識を根底に持って開発に取り組むことが、他社にはないオリジナルのヒット商品誕生につながると信じています。
タイトなスケジュールが今後を変えるパターン化のきっかけに
アダル総合工場 副工場長
馬渡 修
【思い出の家具に至るまで】
小さな頃から“ものづくり”が好きで、大学の企業説明会にてアダルを知り、「いつか自分の手で業務用家具として新しいものを世の中に生み出したい」と感じたので、アダル総合工場で働くことを希望して入社しました。
入社後は製造3課で下張りや上張りといった張り職人としての経験を積ませていただき、まだ知識も経験も圧倒的に不足している状態でしたが、早く一人前になりたいという想いで、とにかくがむしゃらに邁進しました。
【思い出の家具エピソード】
思い出の家具で強烈に記憶に残っているのは、「モジュレックス」です。病院の待合室向けイスということで開発が始まったものの、スケジュールが非常にタイトで2ヶ月ほどしかなく、約1ヶ月で構想から試作までたどり着く必要があったのですが、モジュール式なので展開パターンが無数に考えられます。
そこで、開発期限や撮影の効率を考え、パーツの組み合わせを50パターンほどに絞り込み、その全パターンの原価表を作成し、生産効率を高めていきました。
営業の面でもパターン化したことで発注しやすくなり、お客様とのイメージ共有もしやすいとのことで、とても嬉しかったです。
【思い出の家具への想い】
開発までの道のりは苦しかったですが、最終的には想像以上の結果が生み出せたと感じています。「モジュレックス」以降は、「モジュールなら馬渡」と言っていただけることも増えましたね(笑)。私にとって職人としてのターニングポイントでもあったと思うので、「モジュレックス」にすごく感謝しています。
アダルに入社して家具づくりに携わって20年以上が経ち、現在は副工場長をさせていただいていて、「永続できる体制づくり」に取り組んでいる真っ最中です。安全第一を念頭に品質・技術・生産性の向上を目指し、DX化の促進や物流改革による経費削減に注力しています。また、チャレンジしたいと手を上げる後輩たちのサポートにも全力です!私自身も「モジュレックス」をはじめ、様々なプロジェクトに参加させてもらい、たくさんの経験を積ませていただいたので、そのようなチャレンジを通して達成感やスキルアップを感じる後輩たちの姿が見られることを喜びに思います。
そしてこれからも皆で力を合わせ、オリジナルの技術とデザインを兼ね備えたアダルを象徴するような業務用家具を生み出していきたいです。
カスタマイズの対応力で営業スタイルを確立させてくれた存在
東京支店 支店長
大嶋 亮平
【思い出の家具に至るまで】
私は福岡県の久留米市出身で、『はたらく家具』6号に掲載されたこともある地元の喫茶店「しのはら珈琲店」によく行っていたのですが、そこのミートソースパスタがとにかく美味しくて。いつも決まったお気に入りの席で、窓の外の池町川を眺めながら過ごす時間が大好きでした。そして、その席のラウンジチェアにたまたま貼られていたのが、ADALシール。温かな気持ちになれる思い出の中に、ADALとの出会いがありますね。いつかこういうイスが欲しいなぁと思っていて、なんとなく社名を覚えていたので、求人に応募するきっかけになりました。
(しのはら珈琲紹介記事: https://www.adal.co.jp/column/our-history/our-history-shinohara-coffee/ )
【思い出の家具エピソード】
入社後は造作家具の営業がメインでしたが、4年目に別の課へ異動したところ、周りの営業社員がカタログ商品をたくさん受注していて衝撃でした。
そんな状況で悪戦苦闘していたあるとき、特殊な内装の個性的な飲食店デザインを得意とされていた設計士の方に、ボタン締めデザインの「バンダロ」を気に入っていただき、さらにサイズや肘の有無などのカスタマイズできる対応力が評価され、次々と発注していただけるようになりまして。造作家具の営業で培ってきた知識を対応力に活かすことができて非常に嬉しく思いました。もしも当時「バンダロ」販売ランキングがあったならば、一番はきっとダントツで私です(笑)
【思い出の家具への想い】
工場の心強いバックアップのおかげもあり、設計士の方からアダルの底力と安定品質が認められ、「バンダロ」以外のカタログ商品の受注にもつながっていきました。 営業としての動き方やコミュニケーションの方法を「バンダロ」に教えてもらい、基本の営業スタイルを確立できたと思っています。
今後も、お客様のニーズとともに成長を遂げる家具、愛着を持っていただける家具を一つでも増やしていくことで、会社のイメージや社員のモチベーションアップにもつながり、好循環を生み出せると感じています。